草木田

草木田

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1447

  庄園時代の庄家田のなごりか?
 草木田は、町の北東部で国道207号線の南にあたり、嘉瀬川沿いに位置する。天明郷村帳(1783)では、徳万村の小字に草木田の記録があり、明治15年の「佐賀県各町村字小名取調書」には、徳万村の小字に草木田の記録がある。名の由来を知る人はいないが、この附近は嘉瀬川流域にあり、庄園時代に開墾された庄家田から転化して草木田となったものであろうか。庄家田とは、庄園領主の田のことである。嘉瀬橋から南へ堤防を下った右側に、室町時代の永享2年(1430)に英僧久遠成院日親大上人が開山した昌永山竜光寺がある。その本堂東側に西ノ原明神があり、檀家や附近の人々に安産の神様として信仰されている。4月19日がお祭りで、以前はお寺の境内だけでなく、門の南にまで出店が並び賑わっていた。御詣りに来た人たちの中には、帰りに中副のひゃーらんさんに立ち寄って春を楽しんで帰る人たちもいた。
  風邪引きの神様若宮さん
 竜光寺の東の道路を、南へ200mほど行くと草木田の交差点にでる。この交差点の左側に小さな祠がある。この祠に若宮さんが祀られている。若宮さんとは、仁徳天皇のことである。以前は、得仏地区の東にあったが、森林公園拡張工事のため平成5年に現在地に移されている。若宮さんは、12月13日を村祭りとして集落総出で御参りをしてから、側の田圃に持ち寄ったご馳走を広げた。この地区で若宮さんは、風邪引きの神様として信仰されている。原田保雄さんは「子どもの頃、風邪を引くと母が若宮さんへ水を持っていって御参りをし、その水を飲ましてくれた」と話されている。若宮さんの北側には、皇紀2600年(昭和15年)記念に建立された馬頭観音がある。この地域で馬がたくさん死んだためだという。その隣に昔から病気を治す仏さんといわれる薬師さん(やくそさん)、交差点南に権現さん(田を守る神様)、また公民館の側には庶民信仰の代表の観音さん、水にかかわる農業の神の弁財さんなど多くの石仏が祀られている。交差点から南へ100mほどいった道路左に、臨済宗長福山寶琳寺がある。寺の由来は、行基菩薩が川上より流れてきた仏像を得て祀ったのが始まりといわれ、この地を得仏という。1400年代に伊万里の円通寺より仙翁竹和尚を迎え開山した禅寺である。この寺の境内に、読売新聞社の創設者の1人で2代目社長本野盛亨夫妻の墓がある。寶琳寺は、以前は得仏橋付近にあったが、嘉瀬川改修工事のため昭和26年から29年に現在地に移転している。
 得仏地区に県営野球場が
 以前の嘉瀬川は、嘉瀬橋の100mほど南を南東に約1kmぐらい流れ、それから南西へ800mほどで現在の嘉瀬川に繋がっていた。旧河川敷は、昭和43年から県立森林公園が造られ、平成12年には得仏地区に県営野球場が建設された。嘉瀬川改修は、ジュディス台風後の昭和25年から本格的な工事が始まる。当時は、線路を敷いてトロッコで泥を遊んだ。改修前の嘉瀬川付近は、田園や畑で、その付近には小さな堤防があった。中尾融さんは「集落の道路補修の時は、この堤防から砂をイノーテ(担いで)運んだ。村全部の時は、嘉瀬橋の上から車力で運んだ」と話されている。改修工事で地域が分断されたために、昭和37年に得仏橋(農道橋)が架けられた。戦前には、30戸ぐらいで農業を中心にした集落だった。商店は、大正10年に酒屋を始めた志波商店がある。

出典:久保田町史 p.686〜688