祇園社

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■所在地佐賀市久保田町久保田宿
■登録ID1364

 国道207号線沿いの久保田宿の中ほどにある。
 社の創建の時期は定かではないが、弘化3年(1846)の西持院文書に、「祇園社敷地二畝十六歩、地米一斗七升五合、若狭殿分御免地宮司双林坊」という記録が残されていることから、それ以前の建立と推定される。
 祭神は素盞鳴尊(須佐之男命)、荒神様として氏子の人々に恐れ敬われてきた。
 境内の入口にある明神鳥居には「文久四年歳次甲子孟春吉旦」と刻されている。
鳥居の両側には瓦屋根の格子塀が続いていたが、今はブロック塀に変わっている。
 拝殿の前には、左右に「文久元年」と刻された石燈篭と、「万延元年」と刻された狛犬がある。他に、石の手水鉢があり「安政七年」と記録されている。久保田宿は、昔の長崎街道の宿場町として栄えたところで、往時、旅館はもちろんのこと、かじ屋、大工職、酒屋、桶屋、畳屋、床屋、豆腐屋、歌舞伎役者など数多くの家が軒を並べていたことから祇園祭りも華やかなものがあったと想像される。
 毎年、旧暦6月15日は夏祭りで、神事、余興などで賑わった。祇園社の夏祭りの日は、各家庭では、和紙を張った行灯を作り、絵を描き造花で飾って家の入口に立てた。祭り客をもてなす料理は「タラの煮しめ」に「ウリの酢もの」などで、祇園の日はキュウリは食べないというところが多い。切り口が祇園社の紋に似ているからとも言われている。また、祇園の日に泳ぐとカッパにヘソを抜かれると言い伝えのある所もある。

出典:久保田町史 p.484〜485

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