名木「やんぼし松」

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名木「やんぼし松」

■所在地佐賀市東与賀町大野
■登録ID1163

大野村の本土井ができたのは、1580年頃といわれるが、現在のライスセンター西側に、名木「やんぼし松」がただ1本横に長く繁茂していた。その昔「山伏し」がこの大野の海岸土堤に流れ着いた記念として植樹したことから、この「やんぼし松」の愛称が生まれたのである。この黒松は樹齢も相当に古く、根元の幹の太さは大人2、3人が両手を広げて回しても回しきれないほどの大樹であった。
樹幹の高さは5〜6間であったが、幹と枝が土堤に沿って横に長く広がり、ここを通行する人たちは馬を引いたり、藁を積んだ車力を挽いて長く伸びた幹下をくぐって通るという、極めて風流で洒落た老松の姿勢であった。したがってこの松は村民の老若男女の人気を呼び、農耕作業の際のいこいの場となったり、時には村内外よりの見物客もあった。ある時の県知事は風雅にも馬に跨がり乗って毎月1回は必ずこの「やんぼし松」を訪問し讃美したという逸話も残っている。
しかしこの老松も時代の波には勝てず、先の東与賀全域にわたる圃場整備事業実施前の昭和39年末には遂に伐採され撒去される運命となった。緑保存の自然環境からいっても、名木保護の立場から考えても、誠に残念でならない。今は往時の人々から親愛され重宝がられたこの名木も、坂田三郎(大野出身)の立派な名画(油絵)となって、大野公民館に掲げられ、見る者をして懐旧の情を禁じ得ない。
この「やんぼし松」と相対して、東へ300mの地点に「左近殿切り」と呼ばれる霊場がある。これも年代や人物等全く不明であるが、「左近」という武士が何かの罪に問われて、この地で処刑された跡であろうとの伝承がある。この付近は以前から高さ10mの堤防で、その下を一の谷といってここに竜王さんを祀った石碑も在ったが、現在では全く見当たらない。これも時代の風化現象であり、そして物質文化への移行発展とも考えられよう。

出典:東与賀町史P1222